私のこと、思いつくままに

仕事

仕事は高校の社会科講師。今は、地歴科、公民科に分かれていますが、以前は社会科でした。倫理社会という科目が中心のはずが、いつの間にか歴史、政治経済が中心になっていました。おかげで、社会の事象を知る目ができたように思います。今のウクライナの問題を見るにつけても、そのような視点があって見えてくるものがあります。

公立高校教諭の期間が長く、小学生の学習支援、中学生にも塾講師として家庭教師教師として教えてきました。教えることは、子どもに「分かってもらうこと」を目的にするわけですが、実は、「分かったつもりになってもらうこと」を目的にしていたのではないか、と反省しています。子どもの心の中を可視化できないので、「分かった」ことを計るために「テスト」を使います。その子たちなりの分かり方は隅に追いやられていきます。子どもの心の動きを無視して、結果として、「分かったつもり」の子供たちが量産されていくような危惧を覚えます。そうでない学び方を開いていくことが私の仕事だと思っています。

生まれ

生まれは岩手県。低い山が間近に見える農村に生まれました。春の田んぼ、夏の蝉、秋の紅葉、冬の雪。自然の見慣れた風景でした。その間ずっと考えていたのは、あえて言葉にすれば「納得して生きること」。実は、流され、時に舞い上がり、時に落ち込みながらも、納得して生きることにこだわってきました。大学入学のため上京。何度か引っ越して埼玉に落ち着きました。

宮沢賢治と同郷であることは、私にとっては大きな意味があります。彼の生き方や言葉には学ぶべきことがたくさんあります。彼の童話や詩集、残された文章類。追々と語っていくつもりです。

好きなこと

書物を愛し、旅を好み、人間も好きでこれまでを過ごしてきました。

書物については、小学校に入る前から、読めなくても本を見ていたらしいです。おそらく開いたページから思うことを声に出していたのだろうと思います。病気で臥せっていた祖父が私の本を読む声がうるさい、と言っていたらしいです。書物は、いろいろなことを想像させ、ものごとについて考えさせることもします。風景を見ながら、ことに触れて、思いを巡らす時、読んだ書物の一節が思い出されてくることが、ままあります。

思い出深い旅は、大学2年の夏休み、北海道を2週間ほどヒッチハイクしたこと。最初からそのつもりではなかったのですが、当時のはやりもありテントをもって出かけ、列車に乗り合わせた学生からヒッチハイクの話を聞き、早速列車を降り、気の向くままに通りかかった車の運転手の世話になり、北海道を周りました。旅を終えて、「人間っていいものだ。」とつくづく感じました。この暖かい感じは、東京に戻ってからも数か月続いたことが思い起こされます。

教師になって15年ぐらいしたころから、何度か生徒と一緒にオーストラリア、韓国に行くこともありました。個人のつてを頼りながら、中国にも何度か行きました。その土地に住んでいる人との出会いが面白く、宿泊はほとんどホームステイ。人間は、どこにいても、心は通じ合うことを感じます。

人の出会いに恵まれているのかもしれません。人間を好きだと思うゆえんです。

それでは、コメントなどお願いします。ありがとうございました。