仕事の選択:私はこう思います

小学生

私の場合、まず、小学校の4年生ごろでしょうか・・・将来は、外国に移住したいと思っていました。模造紙に友達と世界地図を書いたりしていました。その後、小学校5,6年生ごろからは、科学者になりたいと思っていました。パスツールの伝記なども読み、憧れました。顕微鏡を買い、田んぼの水を採ってきてミジンコを見たり、アメーバを発見したかったのですが、できませんでした。

中学生

中1のころから、外国へのあこがれもあり、海外文通なども始めていました。例文集を見ながら書いた手紙に、アメリカの中学生から返信を受け取ったときの感激は今でも忘れられず、手紙は大事にとっています。中学では、小学生の延長のままに科学者を考えていました。科学クラブがあり、残酷なことですが、麻酔を使わずにカエルのお腹を切っている最中にカエルが逃げ出したりしました。科学の実験も好きでした。

高校生

高校時代、英語部の先輩が大学の法学部に合格したことを知り、その大学の法学部に行こうと思いました。法学部に行くと決めたので、それに関連する仕事を考えました。英語が得意だったので最初に考えたのは、外交官でした。(教師になってから、生徒には、将来の夢を決めてから、学部を考えるように言っていますが、今から考えると憧れとか、かっこよさとかから大学・学部を決めて、そこから仕事を決めたのでした。)いろいろと調べるうちに、外交官はお金がかかりそうなことを知り、同時に、自分の周りの環境から、貧しい人が法律を知らないために差別されていることに対する憤りもあり、弁護士になることを考えました。高校2年生の頃です。しかし、受験勉強よりも、好きな数学や英語の勉強、本を読むことを優先していたこともあり、希望する大学に入るには、実力が足りませんでした。受験雑誌を見ていて、入学金や学費がただで、しかも奨学金ももらえる私学のあることを知り、その大学の法学部を考えました。高校3年生の時、国立大学からの転換でした。

大学生

大学に入り、そのまま弁護士になるために司法試験の勉強も始めました。そして、大学の4年の時に受験し不合格、卒業後再度挑戦し不合格。このまま続けるか進路を変更するか考えました。当時、下宿先に大家さんの子どもたちが数名来て、勉強を教えていたのですが、教えながら、生徒といろいろと話をするのが好きでした。こういう仕事も悪くないと考え、教師になることを考えました。

卒業後

大学で教職課程を取っていなかったので、教員免許はありませんでした。そもそも、教師にだけはなりたくない、と考えていました。友人には教職課程をとり、教員免許を取って卒業した人も何人かいました。大学は卒業していたので、塾の仕事をしながらでしたが、大学の通信教育課程に入り教職免許をとることにしました。教育実習は、母校で行いました。その時、自分の好きな本が読めて、好きな話をして、お金ももらえる。こんないい仕事はない、と思いました。3年後、免許を取った年に採用試験に合格し、教師になりました。

教師になってから

教師になってからのことを考えると、国際交流に関わって海外に生徒引率で行くことも何度かありました。子供のころの海外に対するあこがれ、外交官になろうとした思いなどが、こういう形で果たされたことを感じます。また、日本語を教えていた外国人の離婚訴訟にも関わり家庭裁判所にも何度か行き、その相談を受けた外国人の思う形で終結し、喜んでもらえました。法学部を出ていたことは無駄ではありませんでした。こうしてみると、その時々に取り組んだことは、一見無駄なことのように見えても、無駄なことはないように見えてきます。

今から見ると

定年後も教えることに関わっていると、生徒から教えられること、学ぶことはたくさんあります。同時に、話してみたいこともたくさん沸いてきます。

何のために生きるか、これは、小学生の頃から意識し始めた問なのですが、現在進行形では迷いながらも、少しづつ答えは人生によって明かされてきているように想います。「人は先に知るものではなく、後に知るものである」という言葉もあります。生きることと探すことをいっしょに進めていると、やがて見えてくるものがあるように思います。途上で出会った人や考え方(本を読んだりテレビを見たり)、その出会いが人生をつくっていきます。

人生は仕事を越えている

人生は仕事を越えているものです。何の仕事をするか、今の日本の若者には大きなテーマになっていますし、周りからも聞かれます。私も、不注意にそんなことを聞いてしまいます。でも、ウクライナに生まれた若者は、仕事を考える以上に「日々生きること」が切実なテーマになっているように思えます。戦火の中で感じたことを、そこから逃れてたどり着いた先で、将来の仕事に結び付けていく人もいることでしょう。

仕事は現実の働きです。将来はまだ先にあるよう見えますが、いずれは、社会の働きに参加していくことになります。人と出会い、本を読んだりテレビを見て考えたり、様々な経験をしながら、「どう生きるか」を問い続けていってほしいと思います。 人生<仕事、ではなくて、人生>仕事です。仕事は見えやすい形ですが、その形の中で、「どうはたらくか」、その自由は個々人に任されています。仕事を選ぶだけでは決まらない、人生を充実させるために大切な問いだと思っています。

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