定点観測、ではありませんが、田んぼを撮ったものです。自転車を走らせる中で見えてくる風景です。2月は、稲を刈り取った後の田んぼと白く見える月が写っています。4月は、田んぼに様々な草(ふつうは、雑草というのでしょう)が生えてきています。5月は、その草を鋤き込んで、整地しています。この後、水を張り、稲の苗を植えて、やがて、秋の刈り入れの時を迎えます。1年ごとの農作業の繰り返し。人と大地と天の交流によって作り出される食。稲作の民が、何年も、何十年も、何百年も、何世代、何十世代、何百世代も、技術は変わっても、繰り返し、繰り返し。また、繰り返し、繰り返し作業を続けてきました。
1年、春夏秋冬というサイクルの中で、一粒の米が地に蒔かれ、天と地と人の無数のつながりの中で育ち、やがてたくさんの実をつけ、収穫され、次の世代にいのちを渡すと同時に、さらに多くの生命を支えていきます。人もその恩恵を受けて生きることができます。ただの繰り返しのように見えて、繰り返しを越えています。
「疲れた」と言わず、「飽きた」とも言わず、ただあるがままに、その生を営んでゆく。わたしたちも、その無数の生命とつながって生きています。風と、光と、雨とつながり、鉱物、植物、動物とつながり、支えられて生きています。でも、あまりにも自然であるために意識されることもありません。太陽は熱光のエネルギーを放出していても一銭も「お金を払え」と言わず、空気は「酸素代を払え」と言わず・・・人が創り出した社会とはあまりにも違いすぎます。そのようなあるがままの自然の中で私たちは生きています。