右の画像をクリックすると最後にキジの鳴き声が聞こえます。最後の0.5秒ぐらい、”きー”と一声、ちょっと高い声で鳴いているのがそれです。一度、それと知ると、すぐ分かるようになります。
さて、この言葉ですが、鳴いたキジが問題、とされていることに引っかかりました。
例えば、今のウクライナ問題。人によっては「ウクライナが、NATO加盟を持ち出したからこんなことになったんだ。言わなきゃよかったのに。」と考えるひともいることでしょう。ひょっとしたら、P氏も「ウクライナがNATO加盟を持ち出さなければ、私はここまでやらなかった」と思っているかもしれません。
翻(ひるがえ)って、私はどうだろうか、と考えてみます。私の場合は、「どうしてもっと、はっきり思うことを話さないの」、と思うことが、多々(たた)あります。でも、「あなたは語ってはいけない、語るのは私。あなたは聞く人。語ったら撃つよ」と無言の圧力?を加えているのかもしれません。心優しい生徒は、教えることを妨げてはいけない、という自制心がはたらいているのかもしれません。
「キジにとって、鳴くことは自然」 ならば、「鳴かないことに、思いを向けていくことが大切なこと。そのことに気づいてください」とキジはあの一声に命をかけて訴えているのかも知れません。命がけの一声の背後に、無数の声があることを感じてくださいね。・・・いろいろ考えているうちに、ここまで来てしまいました。